「悠人!そろそろ始まるぞ!」
リビングから父の声がした。
俺は勉強の手を止めて立ち上がる。
今日は福田が国会で証言する日だ。
高校生(今は小学4年生だが)という
史上最年少での国会での証言にマスコミも騒いだ。
国会で証言することが決まってから短期間ではあったが
新聞、テレビで取り上げられ、
『能力区分法の犠牲者』と報じられていた。
「あ!入ってきたわ!」
母がテレビを見つめた。
予算委員会の議場に緊張した面持ちで入ってくる福田。
スーツ姿の議員の中、一人だけブレザーということもあって
余計に目立った。
付き添いの人に導かれるように用意された椅子に座ると、
福田はふうと一呼吸ついて肩を上下させた。
「それでは、予算委員会を開始いたします」
議長の言葉で雑談していた議員たちのざわめきが治まった。
「憲民党党首、磯崎義邦君!」
呼びかけに応じ、磯崎が立ち上がり悠然と証言台に向かう。
「本日は能力区分法により、非常に差別的な扱いを受けたという
証人を呼んでおります。
彼は高校3年生になるはずでしたが、ある事情により
小学4年生に落第させられました。それは学力が原因ではありません。
証人の福田拓海くん。宜しくお願いします」
磯崎に呼ばれ、福田が証言台に立った。
「え…あ…○○市立石塚小学校4年、福田拓海です」
軽く一礼する福田。
明らかに小学生には見えない少年が『小学4年生』と自己紹介する姿は
それだけで全国の視聴者に衝撃を与えたことだろう。
俺はスマホを開いた。
ツイッターにはみるみる間に驚きのツイートが上積みされていく。
「僕は今年、東石塚商業高校の3年に進学する予定でした。
知っている人もいるかもしれませんが、
東石塚商業高校は甲子園に時々出場しており、野球が盛んな学校です。
僕はチームの主力として期待もされていました。
だけど…この4月、僕は小学校に落第させられました。
確かに野球に打ち込んでいましたが、
勉強を疎かにしていたわけではありません。理由は…」
福田は言いよどんだ。そして一気に吐き出すように
「僕の夜尿症です」
周囲がざわめいた。驚きの声をあげる議員もいた。
「確かに僕はほぼ毎晩寝小便をします。
幼稚園の頃から一度も治ることなくここまできてしまいました。
この歳になっても寝小便が治らないことは正直とても辛いです。
何より恥ずかしいし、どうして僕だけいつまでも治らないんだろうと
情けない気持ちをずっと抱えていました…」
福田は宿泊学習、野球部の合宿、修学旅行と体験談を交えながら証言していく。
それはとても堂々としたもので、国会の証言台という特殊な場に立ちながら
緊張の欠片も感じさせない見事なものだった。
「さすが高校野球のスラッガーだっただけのことはあるなぁ…
度胸が据わってる」
父は感心した声で言った。
「さまざまな人に支えられて僕は高校生活を送っていました。だけど…」
福田は側に置かれたコップの水を飲んだ。
「この4月から僕の生活は一変してしまいました…」
福田のその後は俺もよく知っている。
彼は大好きな野球を諦めたこと、
次第に周囲に夜尿症で落第したことが噂となり好奇の目で見られたこと、
友人が自殺しようとしたこと等最後は涙ながらに話した。
俺もテレビの前でいつしか泣いていた。涙が止まらなかった。
父はちらっと俺の方を見、口をへの字に曲げて下を向いた。
「僕の願いはただ以前のような生活に戻りたいだけです。
本当にそれだけなんです。どうかお願いします!」
福田は議場内に響く大きな声で言うと、深々と頭を下げた。
どこからか拍手が起こった。それは波紋のように瞬く間に議場全体を包んだ。
立ち上がって拍手をする議員もいる中、
友愛党の党首、犬山だけが浮かない顔をして深い溜息をついていた。
「よかったよ。君の勝利だ」
憲民党の党首、磯崎は控え室で福田に握手を求めた。
「今まで生きてきて一番緊張しました…」
福田はふうとひとつ大きく息を吐いた。
「いやぁ…実に堂々とした証言だったよ。ウチの党に欲しいくらいだ」
磯崎は笑って福田の肩を叩いた。
「そんな…言いたいことを言っただけです」
福田は恐縮した。
「あとでウチの者に自宅まで送らせる。暫くここで待ってもらえるかな」
磯崎は秘書を呼び何か小声で話した。
「僕らなんかのために…ここまでしてもらって…
本当ににありがとうございました」
福田は深々と頭を下げた。
「当然のことだよ。君たちは僕にとって貴重な人材だ」
「貴重…?」
「私は憲民党の党首だが、実はオネショフェチSNSの代表でもあるんだ」
「え!」
「オネショフェチとして何が何でも君たちを守り抜かなければならないからね
これからも素晴らしい世界地図を期待してるよ」
磯崎はニヤリと笑って福田に握手を求めた。
「は…はい…」
福田はぽかんとした顔で手をゆっくり差し出した。
磯崎はその手をがしっと握ると力強く振った。
「そこでだ。実はお願いがあるんだが…」
その年の10月、参議院選挙で歴史的大敗を喫した友愛党は、第2党に転落し、
国会にねじれが生じることとなった。
能力区分法が原因であることは自明で、犬山内閣は退陣せざるをえなかった。
友愛党はあくまでも能力区分法を改正することで制度の存続を図ったが、
参議院第1党になった憲民党は世論を盾にして法の廃止を主張し、
結局友愛党もその主張をしぶしぶ受け入れた。
12月4日、能力区分法の廃止法案が可決された。
運用開始からわずか8ヶ月のことだった。
現在落第している学生は全て来年4月から本来の学年に戻されることになった。
俺と福田は来年から高3に戻れることになる。
1年遅れることにはなったが、それでも嬉しい話だった。
『甲子園おめでとう!』
次の年の夏、東石塚商業高校に復帰した福田は
キャプテンとして野球部を率いて念願の甲子園出場を果たした。
地方大会決勝にも関わらずスタジアムは満員だった。
能力区分法を廃止に追い込んだ功労者として
福田は今年に入ってから時代の寵児となった。
甘い顔立ちだったことから女性の追っかけも多数現れた。
マスコミは連日彼を特集し、メディアに出ることをしばしば要請されたが、
彼はすべて固辞した。
自分の活躍は野球で見て欲しいとのことだった。
そのため彼の出場する試合には観客やマスコミが殺到し、チケットは高騰した。
俺もできれば球場で見たかったが、結局チケットを取れず、
おめでとうメールだけ送ることにした。
「悠人!」
即座に福田から着信があった。
「あぁ…久しぶり!」
「ありがとう!甲子園決まったよ!」
「見に行きたかったけどチケット取れなかった」
「悠人なら言ってくれればチケット取り置きできたのに!
受験忙しいんだと思ってあえて誘わなかったんだよ」
「福田の方こそ今忙しいんだろ?今や時の人じゃん!」
「忙しくはないよ。周りが騒がしいだけ。
こんなの僕の望んだことじゃないからな…早く冷めて欲しいと思ってるよ…」
福田はうんざりした声で言った。
「でもいいこともあったよ。夜尿症への理解が進んだし」
実際あれ以来、中高生になってもオネショに悩む人がいるという事実が認識され、
またそれは夜尿症という病気だという理解が一気に進んだ。
修学旅行や宿泊研修でオネショをしてしまったが、いじめられることなく
学校生活を過ごせたという感謝の手紙を、福田も俺もたくさんもらった。
「そうだな…励ましてくれる人が増えたってことでは
結果オーライだったのかもな」
「あれから…よくなった?」
「ん?寝小便のこと?」
「うん」
「あーそっちは相変わらずだな…今日も派手にやっちゃったし…悠人は?」
「実は若干減ったんだ…」
「ほんと!?」
「夏のせいかもしれないけど、急に週1~2まで減ってきた」
「そうかぁ…嬉しいような悲しいような…
もし先に治っても俺のこと忘れたりしないでくれよぉ」
福田の甘えたような声に俺は苦笑した。
「そ…そんなわけないじゃんか…
冬になったらまたひどくなるかもしれないし。
治っても治らなくても俺は福田とずっと友達だから…」
なぁ今度一緒にご飯でも行こうよ!」
「うん!甲子園行く前に会いたいなぁ。話したいこと山ほどあるんだ!」
二人は会う日を約束して電話を切った。
「おぉ!今日も派手にやったなぁ…」
憲民党党首、磯崎義邦は仕事を追えた真夜中、自宅の書斎で
ウイスキーをちびちびやりながら、パソコン画面を見ていた。
モニターにはオネショで濡れたシーツを剝がし布団を抱える
福田拓海の姿が映し出されていた。
「今日はこれから甲子園予選の決勝なんだろう。
野球部のエースがこんな日の朝に寝小便して布団干してるなんてなぁ…」
ちらっとモニターの中の福田がこっちを見た。
その顔は少しはにかんでいるようだった。
「たまんないな。この顔。こんな男前が未だに
小学生みたいに寝小便癖で悩んでるんだからなぁ」
磯崎は空になったグラスにウイスキーを注ぐ。
彼は福田に頼んで彼の部屋にカメラを置かせてもらったのだった。
もちろん彼の寝小便姿をリアルタイムに見せてもらうためだった。
こんなプライバシーを直に侵害するような行為に対し
福田は最初ためらったが、1年間という期間限定で認めさせた。
自分にもこんな覗き行為に後ろめたい気持ちはある。
でも能力区分法を廃止させたお礼としてこのくらいは構わないのではないか。
磯崎はリアルタイムに録画された今日1日の動画を
深夜帰宅後酒を呑みながら眺めるのが日課になっていた。
モニタからバタンと扉の音がして部屋の主が今出て行った。
静まりかえった部屋の中に夏の厳しい刺すような日差しが注ぎ込んでいた。
完