僕は昼休みになると、校内の喧騒に紛れてこっそり家に帰った。
あのまま学校にいてもまた川上と斉藤の餌食になるだけだからだ。
それに雑巾の臭いが染み付いた学生服を
一刻も早く脱いで洗濯したかった。
幸いあの二人に見つかることもなく、
今日は何とか逃げ帰ることができた。
こうやって奴等から逃げ回るのもあと少しのはず。
ただあれから斉藤のスクープをこまめに追っていたが、
ヤツはなかなかシッポを出さなかった。
それでも粘り強く追っていくしかない。
僕はそう心に決めて玄関ドアを開けた。

真っ先に学生服を脱ぎ、洗濯機を回す。
そしてパン一のまま自室に入ると、
まずスマホで石田の家を覗いてみる。
そこはいきなり修羅場だった。
リビングで石田が暴れまわっているのだ。
「やめなさい!どうしたのよ!!」
母親が石田を制止しようとキッチンからやって来る。
「どこにあんだよ!!」
石田は叫びながら本棚やテレビ台、サイドボードを
片っ端から乱暴に漁り始めた。
ダイニングはみるみる間に散らかっていく。
「やめてよ!何するのよ!!」
母親が声を荒げた。
その声に被せるように、
「うるせぇ!!」
石田は一喝すると、母親を叩いた。
そのままソファに崩れる母親。
部屋の空気が一瞬止まった。
そこにスリッパの音を立てて入ってきたのは大人の男だった。
見たことはないが、多分石田の父親だろうと僕は思った。
「賢太!」
父親が石田の腕を引っ張る。
「母さんに何てことするんだ!何があったんだ!!」
石田と同じくらいの背丈の父親が石田と対峙する。
会社の役員を務めているだけあって
普通の大人にはない威厳を感じた。
「だって……撮られてんだ!」
石田の声が部屋に響く。
「何をだ?」
「オレの…」
石田が言い淀む。
「この前からこの子何だかおかしいのよ。
 盗撮、盗撮って神経質になってて…」
口を挟んだのはソファに座ったままの母親だった。
「賢太。それは昨日母さんから聞いた。
 だから一応専門家を呼んで今朝調べてもらったんだ。
 そのために私も今日は会社を早退した。
 でも盗聴器やカメラは一切見つからなかったよ」
父親の声はよく響いた。
「そんな…そんなわけない…」
石田は首を横に振った。
「専門家が言うんだ。ちゃんと機械を使って丁寧に調べていた。
 でもそんなものは一つも出てこなかった。これは間違いない」
「でも…」
「でもって。まだそんなことを言うのか」
父親は少し苛立っている様子だった。
「実際撮られたんだ!何回も!!」
「だから何を撮られたんだ」
「オレの……………………………………………………………………………………………………………………………………………おねしょ…」
『おねしょ』の部分だけはやけに小さな声で石田は言った。
言いながら顔が赤くなっていくのが画面越しにでも判った。
父親と母親は二人顔を見合わせるとその場にしばし固まった。
「その写真は…あるのか?」
暫くの沈黙の後、父親がゆっくりと口を開いた。
「ない。破って捨てた」
「それは本当にこの部屋だったんだな?」
父親の言葉に石田は深く頷いた。
「それで…何か脅迫でもされてるのか?」
「いや…別に…」
父親は少し安堵の表情を浮かべると、石田の肩を掴んだ。
「なぁ、賢太。病院に行かないか?
 お前のは夜尿症というれっきとした病気だ。
 別に恥ずかしく思う必要なんてない」
「…」
「この前ネットでいろいろと調べてみたんだよ。
 隣の小田市に夜尿症の有名な専門医がいるらしい。
 全国から問い合わせがあるほどなんだそうだ」
「小田市ならここから結構遠いし、誰か友達とかに
 見られる可能性もないんじゃないかしらね」
母親がフォローした。
「父さんの知り合いに大学病院の教授がいるから
 そのツテを辿れば優先的に診てもらえると思う。
 な、賢太。夜尿症が治ってしまえば何の問題もないんだろう?
 それならこのまま放っておくより
 もっと前向きに治療することを考えるべきじゃないのか?」
父親の口調はとても柔らかで、真摯な物の言い方だった。
どうしてこんな立派な親からあんな息子が育つのか…
僕には何だか不思議に思えた。
「わかった…行ってみる…」
石田は小さな声で頷いた。
「よし。じゃあ父さんが予約取っておくよ」
父親は石田の肩をポンと叩いた。

その夜僕は斉藤の部屋に照準を合わせ、ぼーっと眺めていた。
斉藤隆文、身長175センチ体重52キロのひょろっとした体型の彼は
中学時代から顔見知りではあったが、その当時は割りと真面目な生徒だった。
高校に入って石田や川上と付き合いだしてから彼は変わってしまった。
そんな斉藤を僕はずっと追い続けていたが、
大体自室のソファでずっとタブレットをいじっているか、
テレビをだらだらと見ているかのどっちかだった。
勉強をする様子は殆ど見られない。
塾すら通ってないようだった。
男子高校生なら必須の自慰行為も、
彼に関しては未だ見たことがなかった。
もしかしたら風呂場とか別の場所でやってるのかもしれないなと思っていた。

だが今日は少し様子が違った。
クロゼットを開けて奥の方から何か取り出そうとごそごそしている斉藤。
彼は大きめのチャックつきビニール袋を大事そうに取り出すと、中身を空ける。
「あぁ…美紀ちゃん…」
斉藤はそう言いながら何か布のようなものを顔に当てた。
「?」
僕は画面の中の斉藤を拡大してみた。
「美紀ちゃん…あぁ…美紀ちゃんの匂い…」
顔に押し当てた布切れの下から荒い鼻息が聞こえる。
白い布の端に青いラインが見え、それで僕はピンときた。
「体操服だ…」
我慢しきれなくなった斉藤がジーンズとトランクスを一気にずり下ろすと、
中からギンギンに勃起したチンコがあらわれた。
彼は体操服の匂いを虚ろな目で嗅ぎながらチンコをがしがしと扱いた。
「美紀って…相田美紀…」
僕はクラスの女子を思い浮かべた。
そしてあの事件のことも瞬時に蘇った。

忘れもしない夏休み前の7月14日、相田美紀の体操服がなくなった。
前日の体育で使った体操服を持ち帰るのを忘れてしまった彼女が、
次の日自分のロッカーや机周りを探したが出てこなかった。
他の女子が間違えて持って帰ったということもなく、
結局誰かに盗まれたんじゃないかという結論になった。
そうなると矛先が向いてくるのが僕である。
当然女子全員から嫌われていたし、
石田たちが僕を犯人に仕立て上げ、暴力を盾に無理やり自供させようとした。
もちろん完全な濡れ衣である。
僕はこれだけは譲れないと思い、石田たちの暴力に耐えた。
だが最終的に『僕が盗った』と言ってしまった。奴等に屈してしまったのだ。
体操服を弁償させられることになったが、相田美紀はそれは受け取らなかった。
それは彼女の優しさとかではなかった。
単に僕のお金で体操服を買うことが気持ち悪かったんだと思う。
元々相田美紀は大人しい人だったから、
こうしてクラスのトップニュースにされるのも迷惑だったんだろう。
その真犯人が実は斉藤だった…
斉藤はあの時僕を酷い言葉でなじり、執拗に殴る蹴るしてきた。
僕に罪を被せただけじゃなく、一緒になって僕を殴るなんて…
どういう神経の持ち主だろう。僕は悔しくて涙が出てきた。
スマホの画面が滲んで見えにくくなる。
そんな画面の向こうで斉藤は卑猥な声を出してフィニッシュしていた。