高橋悠人の落第について書かれたワープロ打ちのFAXには
差出人の名前は記載されていなかった。
高橋の胸をかぁーっと熱いものが走る。
「部長の息子さんって今高3ですよね?」
赤城が言った。
「あぁ、まぁ…そうだ」
「東大目指してるって言われてませんでした?」
「そうだな…」
高橋は少し伏目がちに答えた。
「何なんでしょう…これ…」
その時部下の何人かが高橋のデスクにやってきた。
「部長…これ…」
どうやらどこかからFAXを一斉送信したらしい。
文面はどれも同じだった。
「これって…何がしたいんだろ…」
「気持ち悪いな…」
「そもそも中傷にもなってないじゃん…こんな大嘘」
部下が口々に言う。
「あ~静かに!
 まぁどうせ誰かが私を妬んでこんなことをするのだろう。
 放っておけばよい。次からこんなFAXが来ても
 相手しないように!」
高橋は笑って言った。
が、内心は穏やかではなかった。
40代初めにして技量を買われて技術職トップに登りつめた
高橋のことを良く思わない勢力も会社内には確かにいた。
だけど…どうして悠人のことが分かったのか。
文章の内容に偽りはなかった。
もしかしてこの技術開発部の誰かなのか…それとも他部署の?
これが真実だともし明るみに出たら…
彼のこれ以上の出世は厳しいものになるに違いなかった。
この会社は能力区分法の推進を強力にバックアップしてきた会社だ。
その会社中枢にいる彼の息子が、
実はこの法によって落第になってたのでは社会に示しがつかない。
能力区分法にはまだまだ反対を唱える人がたくさんいる。
その彼等に格好の攻撃材料を与えることになってしまうのだ。
不意に高橋の携帯が鳴った。番号は非通知だった。
「はい」
高橋は通話ボタンを押して言った。
「高橋部長。FAX読まれました?」
声が電子音っぽかった。ボイスチェンジャで変えているのか?
「だ…誰だ!」
「あなたのことを良く知っている者ですよ」
「何がしたいんだ」
「いやいや。ホントのことを書いたまでですから」
「何が目的か知らんが、脅しをかけても私には意味ないぞ」
高橋はドスの効いた声で言ってみた。
「ふふふ。実は私、落第理由も知ってるんですよねぇ…」
「な…なにぃ…」
高橋の声はうろたえていた。それは相手にも伝わったに違いない。
「あれだけ能力区分法を推し進めてきた貴方の息子が
 実は寝小便で7学年も落第させられていた…
 とんでもないスクープじゃないですかぁ」
「ど…どこで聞いた!」
「ふふふ。今忙しいのでまた電話します。
 ただ、くれぐれもFAXにはご注意を」
そう言うと一方的に電話は切れた。
「部長。どうしたんですか?急に怒鳴ったりして…」
携帯を見つめる高橋を赤城が心配そうな顔で見つめてきた。

「おーい!」
俺と福田は、下校途中誰かに呼び止められて振り向いた。
振り向いた先には30代半ばのラフな格好の男が立っていた。
「知り合い?」
俺は福田に聞いたが福田は首を横に振った。
男はすたすたと俺たちの方に寄ってくると、
「高橋君と福田君だね」
そう言って俺たちの顔をまじまじとみた。
「は…はい…」
俺が戸惑いながら答えると、
「ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだ。
 ここでは何だからそこの喫茶店でもよければ」
僕らが怪訝な顔をしたのを察したのか、
「あ、時間はとらせないから。手早く済ますよ」
そう言って俺たちを近くの喫茶店に誘導した。
「私は、こういう者です」
4人掛けの席に向かい合って座り、男はコーヒー、
僕はオレンジジュース、福田はミルクティーを頼んだところで、
男が名刺を机の上に差し出した。
そこには『週刊文冬 編集者 篠原文人』とあった。
編集者…!?
雑誌の編集者が俺たちに何の用なんだろう。
福田もますます警戒感を強めたようだった。
「驚くのも無理はないよね。先に謝っておくよ。
 君たち能力区分法のことは知ってるね?」
篠原は少し早口で言った。
「えぇ…まぁ…」
俺が言うと、
「まぁまさにこの法律の当事者だからね。当然だよね。
 そして…
 君たちはその能力区分法の被害者でもある」
篠原はきっぱり言い切った。
「!」
俺と福田は顔を見合わせた。
「どうして…知ってるんですか?」
暫く沈黙があった後、福田が言った。
「この法律が運用を始めて3ヶ月。
 今まで霧の中だった内容が段々と明らかになってきてるんだ。
 編集部にもいろいろな投書や噂話が入ってくる。
 そしてこの法律は、
 かなり重大な問題を抱えた法律なんじゃないかってこともね」
篠原は一度コーヒーに口をつけた。
「いろいろとこの法律を追っているうちに、
 君たちに辿りついたってわけだ」
「ど…どうして…」
俺は面食らった。
「福田君。君は分かるよね。なぜなら君はこの街の有名人だから」
篠原の言葉に福田は下を向いた。
「東石塚商業高校は甲子園の名門校だ。
 その名門校で1年からレギュラーだった君が突然姿を消した。
 全国的な知名度とは言わないもののスカウトが
 君を狙っているって話もちらほら耳にしていた。
 そんな君がどうして突然いなくなったのか。そりゃ皆不思議がるよな。
 実際俺の友人のスポーツライターも不思議そうな顔をしていた」
福田は俯いたまま何も言わなかった。
「そして、高橋君。
 君は特に有名な訳ではない。むしろ有名なのは君のお父さんだ」
「親父…」
俺は呟いた。親父が有名人!?
「君のお父さんは太世戸自動車の技術開発部部長だが、
 今君のお父さんが開発している技術は
 実は車業界だけにとどまらない技術なんだ」
「とどまらない?」
俺は思わず聞き返した。
「詳細はまだ明らかになっていないが、
 新たなエネルギー革命を起こす技術だとも言われている。
 それはもしかしたらこの国のGDPを
 大幅に押し上げることにも繋がる可能性もあるんだ」
親父が…そんなプロジェクトに参加してたなんて…
俺は全く知らなかった。
篠原はそんな俺の驚いた顔に構わず続ける。
「もちろん政界からも注目を集めている。
 そうなるとやっぱり…敵も増えるってわけだ。
 君のお父さんを追い落とそうとする勢力も存在する。
 君が落第した事実を手に入れることなんてワケないだろう。
 君はお父さんの大きなアキレス腱になる可能性があるんだ」
「お…俺が…アキレス腱…」
「もともと俺はこのプロジェクトを取材することが目的だった。
 でも調査中に君にぶちあたったことで大きな疑問が浮かんだんだ。
 なぜ君が、東大志望の君が小学生まで落第させられたのか…
 その理由を知ったとき初めて俺はこの法律に問題があるんだと知ったんだ」
「それで…どうするつもりなんですか?」
福田が聞いた。
「この問題点を世に問いかけたい。この明らかな人権侵害を」
「それは…雑誌に載せるっていうことなんですね?」
福田は更に念を押した。
篠原は力強く首を縦に振った。
「絶対イヤです!」
福田が睨んだ。