あるホテルの17階の部屋…
ベッド脇に置いたスマホが突如鳴った。
「う…ん…」
頭の側でけたたましく響くメロディーを煩わしく思いながら
電気スタンドの灯りをともす。
目映い光に目を細めながら時計を見ると、
時刻は午前3時半を過ぎていた。
「誰…こんな時間に…」
寝ぼけ眼で通話ボタンを押すと、
「俺だ」
低い男の声がした。
「あ…はい…」
「データが足りない」
「え?」
「あのデータだ。ヤツは完全なデータを渡していない」
「そうですか…」
「そうですかじゃねぇ!」
電話の向こうの声は明らかに焦っていた。
「いくらかデータを改竄している可能性は考えていた。
 そのくらいの抵抗はするだろうと。あの男ならな。
 改竄データの修復くらいならこっちでも可能だ。
 だが足りないデータについてはどうしようもない」
「そんなに…足りないのですか?」
「99パーセントのデータはあるのだ。
 だがそれを動かす1パーセントのキーパーツがない。
 これがなければデータ入手に失敗したも同じだ
「そ…そんなこと今頃言われても…」
「我々もなかなか気づけなかったのだ。
 エンジニアが見て全てのデータが揃っているようにしか
 見えなかったと言っていたからな。
 だがそれ自体がトリックだったのだ。
 一見全てのデータがあるように見せかけておいて、
 実は重要部分を欠けさせている。俺たちは騙されたのだ」
「そんな…」
「先走った記者会見になってしまった。
 あの男はそれも計算していたのだろう。
 ほくそ笑んでいたかもしれないな。
 とにかく…このままでは会社に大損害が生じるおそれがある」
「私は…どうすれば…」
「どこかに必ず残りのデータがあるはずだ。
 必ず入手しろ。でなければ俺たちはその時点で終わる」
「は…はい…」
もう完全に目が覚めていた。
「3日以内だ。ヤツのデスクを徹底的に調べろ!」
そう言い残して電話は一方的に切れた。

7月15日の夜、俺と福田は弁護士の吉岡が手配してくれた車に乗り
2ヶ月ぶりに禅塔寺へとやってきた。
週刊文冬のあのスクープ記事から2週間が経っていたが、
報道はますます加熱するばかりで、連日テレビのワイドショーでは
能力区分法の是非について侃侃諤諤の議論が続いていた。
他の雑誌や新聞社も週刊文冬に追随する形で能力区分法を
特集し始め、ついには秋の臨時国会で
俎上にあげざるを得ないだろうと言われていた。
俺と福田も隙あらば取材したいマスコミによって徹底的にマークされている。
吉岡は回り道をしてマスコミの車を巻いていたため
予定よりも1時間遅れで禅塔寺に到着した。
「あれから2ヶ月かぁ…もっと経ってるような気がするな…」
禅塔寺の正門を見上げて、福田が言った。
「いろいろあったからね…」
俺も溜息混じりに言った。
「長旅お疲れさまです。大広間にそのまま行ってもらえますか」
吉岡の言葉に俺たちは頷いて本堂に続く道を歩いた。
夏でも涼しい風がそよぎ、暗闇の中聞こえる流水の音と
蛙の大合唱が赴きある風情を醸し出していた。
本堂の大広間…
5月の合宿で俺たち4年1組が泊まった部屋だ。
9人全員がオネショしてしまったことも記憶に新しい。
そこには2枚の布団が引かれ、
その周りに8人の男がいた。
「あ!到着だ!」
「おお!ついに!!」
「感動だな…」
8人は障子を開けて入ってきた俺たちを見つめて口々に声を上げた。
8人は様々だった。
20代そこそこの若者から禿げ上がった60代くらいの親父まで。
そんな年代も服装も統一性のない彼らが2枚の布団を囲んで
談笑している姿は何となく異様だった。
彼らは『オネショフェチ』という一点のみで今夜こうして集まったのだ。
俺と福田は座布団を勧められると緊張の面持ちでそこに座った。
「足崩しなよ。今日は本当にありがとうな」
一番若いと思われるTシャツにジーンズの男が言った。
僕らは言われるままに足を崩す。
「矢部さん呼んできてよ」
吉岡の言葉に禿げた親父が部屋を出て行った。
暫くして障子の向こうから現れたのは住職の矢部だった。
「どうもご無沙汰しております。高橋さん。福田さん。」
矢部は深々と頭を下げた。
俺たちもつられるように頭を下げる。
「驚くかもしれませんが、
 私はオネショフェチSNS副代表をやっております」
「え!」
俺たちは絶句した。まさか住職も一枚噛んでたなんて…
「まさか5月の合宿も仕組まれた…」
俺が思わず口にすると矢部は首を横に振り。
「それは偶然です。学校側から相談を受けたときは
 そりゃ驚きましたよ。能力区分法のこのような運営を
 知ったのもその時です。
 貴方たちのことをSNSで報告したのはこの私でした。
 本来職務上の秘密を守るべき私がこのようなことをしたのは
 本当に申し訳ないことだと思っております」
矢部はそう言って頭を下げた。
「矢部さんは最初は内緒にしておくつもりでした。
 でもその直後に大賀くんの自殺。
 その事は貴方たちも知っていますよね。
 彼の死は夜尿症と能力区分法が原因だということは僕らの中では
 早くから話題になっておりました。
 それで矢部さんはまずいと思ったんです。
 貴方たちもいずれ追い詰められてしまうんじゃなかろうかと。
 それで私たちに詳細を話してくれたのです」
吉岡が弁護した。
「もちろん私たちに下心があることは否めません。
 そこは否定しません。でも同時に貴方たちを守りたいのも本心なんです。
 それだけは分かってもらいたいのです」
吉岡の言葉に俺たちはずっと俯いて黙っていた。
「割り切れない思いはあります。でも…
 悠人を助けてくれたのは事実だし。感謝します」
福田が最初に口を開いた。そして深々と頭を下げた。
俺も一緒に頭を下げた。
「おいおい…頭を下げないでくれよ
 こっちが頭下げたいくらいなんだからさ」
若い男が言った。
「じゃ、始めましょうか。
 今日はお二人にはこちらに寝てもらいます」
矢部は部屋の真ん中に鎮座する布団を指差した。
「左側が高橋さん。右側が福田さん」
「場所に意味があるんですか?」
参加者の一人が言った。
「あるのです。よく見てください」
矢部はそう言うと真っ白なシーツを剝がした。
シーツの下から敷布団に描かれた黄色いオネショのシミが現れる。
「おおっ!」
一同から声が上がる。
「5月の合宿の際、お二人が使われたお布団です」
矢部が落ち着いた声で説明する。
「おお!すげぇ!!」
「初めて見た!!」
「こんなん見るだけで勃起してしまうよ…」
「福田くんの世界地図…めちゃくちゃでっけぇ!!」
「あぁ…微かにションベンの香りが…」
口々に感想を言い合う参加者たち。
俺たちは言いようのない恥ずかしさに下を向いた。