「どこにあるんだ…」
人気のない太世戸自動車の技術開発部。
時間は既に午後9時を回っていた。
高橋部長の使用していた机の辺りだけ
蛍光灯に照らされている。
そしてその下に蠢く影があった。
「この中に絶対あるはず…この中に…」
机から大量の書類を無造作に引っ張り出す。
一枚一枚目を通すが、どれも必要な情報ではなかった。
額の汗が滲む焦りを表していた。
「ない…」
一言呟く。そして拳で机を叩いた。
ガン!という大きな音がフロア内に響いた。
その時…
「どんなに探しても見つからないと思いますよ」
ドアが開き誰かが入ってきた。
「あ…や…山下君…どうしたの?」
左足でサッと引き出しを閉める。
「しらばっくれても無駄ですよ。
 皆ずっと貴方の行動を見ていましたから」
山下の後ろから他の社員も入ってきた。
そして最後に入ってきたのは…
「ぶ…部長…どうして…」
「残念だよ。赤城くん。君を一番信頼していたのに…」
高橋の声がオフィスに響いた。

「悠人…俺のところに来いよ」
福田が言った。
禅塔寺から吉岡に送ってもらう車の中。
俺は後部座席から流れる初夏の風景を眺めていた。
禅塔寺付近はのどかな田園風景が広がるが、
もう10分も走れば市街地に入る。
その変化のある風景が俺は好きだった。
「大丈夫」
福田の方を向いて俺は頷いた。
「ほんとか?」
疑心暗鬼な目で福田は俺を見た。
「うん。大丈夫だから」
念を押す。それでも福田には心配なようだった。
「ついに国会で議論されることになったようですよ」
吉岡が運転しながら言った。
カーラジオのニュースが、能力区分法について触れていた。
『政府は昨日、野党の批判を受ける形で、
 急遽能力区分法の見直しのための委員会を設置することに
 なりました。この法律は、今年4月に成立しましたが、
 一部で差別的な運用が問題になっているとして…』
「変わるのかな…」
福田が言った。
「変わりますよ。きっと」
吉岡は自信ありげに答えた。
その時俺のスマホが鳴った。
週刊文冬の編集長、倉田からだった。
「久しぶり!高橋君!
 もし時間あったら福田君と一緒にまた編集部に来てくれないか?」
「構わないですが…なぜ?」
「会って話す。いつならいい?」
俺はスマホを耳から離し、福田に聞いた。
「別に今日でもいいよ」
福田の言葉に、俺も特に用事がなかったので、
「これからでも構いません。福田も一緒に行けます」
と言った。
「そうか!じゃ車を出すよ」
「いや、ちょっと待って下さい」
俺は再度スマホを離し、
吉岡に週刊文冬編集部に行ってもらえるよう頼むと、
彼は二つ返事でオーケーした。
「こちらから伺います!」
そう言って俺はスマホを切った。

「国に売ったケンカが実を結ぼうとしてるぞ…」
倉田は俺たちを座らせると開口一番に言った。
「そうなんですか?」
「日に日に批判が渦巻き始めてるんだ。
 見てよこの投書の山!」
倉田は編集部に届いたメールや手紙を俺たちに見せた。
「特に国民の怒りを買っているのは、
 夜尿症の言葉を検索できないようにしていたことだ。
 検閲は絶対的に禁止されてるこの国で
 こんな運用が密かに行われてたんだ。そりゃ世論は怒るよな…」
倉田はロボットが持ってきたお茶を飲み干すと、
「ウチが指弾記事を出してから、他の雑誌も追撃記事を出してる。
 先月自殺した中学生の記事が出てたな…
 この世論の盛り上がりは絶対イケるぞ!
 いずれ能力区分法は廃止されることになると思う。
 そのためにはもうあと一押し必要だ。そこでだが…」
倉田は一呼吸置いて俺たちを見た。
「国会に証人として出てくれないか?」
彼の目は真剣だった。
「ど…どういうことですか?」
俺と福田は目を白黒させた。
「最大野党の憲民党から編集部に連絡があったんだ。
 ウチが特集した君たちの記事を読んだんだろう。
 ぜひ君たちと連絡をとりたいって。
 与党への攻撃材料として君たちの証言が欲しいんだそうだ」
「僕らが…国会に…!?」
困惑した表情を浮かべる福田。
「難しく考える必要はない。君たちが受けた仕打ちを淡々と
 話してくればいいんだ。
 それは全国に放映される。世論はますます盛り上がると思う。
 ただオネショ癖があることが全国に知られてしまうことに
 なってしまうけど…」
しばしの沈黙の後、
「俺、出ます。一人で」
福田が言った。
「え?」
俺は福田の方を見た。
「悠人は今お父さんが大変なことになってる。
 だから俺一人でいい。
 それに高校野球の道を絶たれた
 かわいそうな高校生ってヤツの方が皆の共感得られそうだしさ」
福田は少し笑って言った。
「まぁ…世の共感を得るってことじゃ君の方が一枚上かもな」
倉田も頷きながら言った。
 
「赤城は?」
黒塗りの車が街の目抜き通りを走っていく。
「失敗したようです」
運転席の男が一言だけ言った。
「そうか…」
後部座席の男はタバコを取り出し、火を点けた。
「俺も…終わりかもしれんな…」
「赤城次第でしょうか」
「警察の尋問にはさすがに彼女も耐えられないだろう」
「それよりも…既にマスコミが情報を掴んでいるという
 噂もあります」
「そうか…
 状況が好転する可能性はもうないということか…」
「そういうことになると思います…」
「つくづく残念だ」
男は窓の外を見た。
沈み行く太陽が一層赤く燃えていた。
それは己の最後の悪あがきを象徴しているようにも見えた。