「重度の夜尿症の学生たちが軒並み小学4年生に落第
 させられている事実についてどうお考えですか?」
最大野党憲民党の党首、磯崎義邦は強い口調で述べた。
「そ…そのような運用は確認しておりません」
与党友愛党の党首であり内閣総理大臣の犬山尚吾は
汗を拭きながら言った。
「いやいや。最近各雑誌で大特集されてるでしょう?
 政府には説明責任というものがありますよ」
「だからそれは…」
「しかも夜尿症に関連する言葉を検索できないように
 していたという疑惑もありますね。
 これにはどう答えるおつもりですか?」
「それも調査中ですのでまた追って回答します」
「いつまで調査中なんですか!そんなものすぐに判る…」

俺は国会中継のテレビを消した。
雑誌が能力区分法の糾弾キャンペーンを始めてから、
次々と不当な運用の事実が明るみに出ていた。
世帯収入の少ない子供の進級をできなくさせていたり、
四肢に障害を持つ子供を学力に関係なく落第させてもいた。
俺たち夜尿症患者だけではなかったのだ。
このような運用が明るみになるにつれ、世論も急速に反応し、
7月の終わりには内閣支持率は既に10%台まで落ちていた。
死に体の内閣に勢いづく野党。
次回10月に予定されている参議院議員選挙では
与党の大敗北が予想されるほど政府は追い詰められることとなった。
俺はソファに寝転がった。
今朝も案の定オネショしてしまった。
朝5時に気づいてシャワーを浴び、布団を干し、
自分で洗濯機を回し、簡単に朝飯を食べて今の時間だ。
さすがに朝早過ぎて寝不足だったからかまた眠気がやってきた。
このソファにもところどころオネショのシミがついていた。
俺が昼寝中に失敗したことが何度かあるからだ。
いつもはシミのところにクッションを置いて、
人目につかない様にはしていた。
昼寝での失敗はさすがに落ち込んでしまう。
俺は高校生にもなっておちおち昼寝すらもできないのかと。
そんな状況だったから学校で居眠りなんて怖くてできなかった。
一度授業中に居眠りして気づいたらパンツがしっとり濡れていた…
なんてこともあった。高校生になってからの話である。
漏れ落ちるほど出なかったのが不幸中の幸いだが、
その日はショックも大きくてすぐに早退してしまった。
「今日も…やっちゃうかな…でも…もう…いいや…」
眠りに落ちそうになった時、スマホが鳴った。福田からだった。
「悠人!」
「ん?」
若干眠そうな声で俺は答えた。
「決まったよ!!」
「何が?」
「何がじゃねーよ!国会に呼ばれる日だよ!!」
「そうなのか!」
俺は起き上がった。
「明後日8月4日。とうとうテレビデビューするぜ!俺!」
「そっかぁ!おめでとう!!」
「今まで受けてきた仕打ちをもう全部ぶっちゃけてやるからな」
「これでもう政府は逃げられないだろうね」
「そうなのか?」
「政府は今まで全て『調査中』で逃げてきた。
 でも実際区分法の運用を受けた当事者が語るんだ。
 もう言葉を濁して逃げるなんてできないよ」
「そうか!俺が国を動かすかもしれないんだな!」
「そういうことだね。頑張ってよ!」
「俺たち…また高3に戻れるかもしれないな!」
「うん。」
「悠人…悠人のお陰だよ」
福田はしみじみとした声で言った。
「え?」
「あのクラスに悠人がいなかったら、俺はここまで来れなかった」
「それは…俺だって…」
「悠人がいたから俺は頑張ろうと思えたんだ。
 ほんとうにありがとう」
「俺も…ありがとう」
「俺…いつまでたっても寝小便治らないけど、
 治らなかったからこそ悠人に会えたんだって思ったら、
 寝小便するのもそんなに悪くないかなって思ったんだ」
いやいや…そりゃ治った方がいいだろ…
俺は心でツッコミを入れた。だけど福田の気持ちが嬉しかった。
「国会で証言するの、楽しみにしてる」
「おう!絶対テレビ見てくれよな!」
バイバイと言い合って電話を切った。

「部長、もう出勤ですか!?」
太世戸自動車開発部長のデスクに腰掛ける高橋を見て
部下の山下が驚いたように言った。
「あぁ。折角休みをもらったんだが、
 やっぱりここのことが気になってね。
 妻と旅行でも行こうかなと思ったんだが、
 妻は私と行くよりも友達と行きたいらしい」
そう言って高橋は笑って頭をかいた。
高橋のデスクの周りに他の部下も集まってきた。
「部長。私最初は部長のこと疑ってました。
 本当にすみません」
安田という高橋と20年以上部署を共にしてきた
部下が頭を下げた。
「私も…本当にすみません…」
皆それに続いて頭を下げる。
「いや。もう済んだことだ。頭を下げないでくれ。
 それに開発データを外部に渡したのは事実なんだ」
「え!」
高橋の言葉に驚く部下たち。
「ただ完全なデータは渡さなかった。一部改竄した。
 だが相手は少々改竄したデータならすぐに元に戻すだろう
 だから私はキーパーツになるデータを外した」
「それで赤城があんな遅くまで…」
「奴らは焦っただろう。俺が直後に逮捕されたことも誤算だった。
 逮捕される時期が早すぎたのだ。
 更に脅迫してデータを引き出したくても警察の中に居られれば
 連絡ができない」
「木津寿の奴らめ。ザマアミロだ!」
山下が言った。
実際木津寿自動車はあの記者会見で述べた事実を全て否定せざるを得ず、
それが原因で株価が大幅に下落してしまった。
太世戸自動車からデータを盗んだという一部雑誌のスクープもあり、
信用回復にはかなり時間がかかりそうだと言われている。
「でも…そのキーパーツは結局どこに隠してたんですか?」
安田が聞いた。
「ふふ。ここだよ」
高橋は自分の頭を指差した。
「あぁ…そこなら…絶対に誰にも探せない…」
「さすがだ…部長…」
皆が感嘆の声を上げた。
「最終的に私個人が関わらなければデータは完成しない
 ようになっている。いや、そういうように変えておいた」
周りから自然と拍手が起きた。
「赤城は…何でこんな馬鹿なことを…」
安田が聞いた。
「彼女は頼まれたんだ。本当の黒幕に」
「黒幕って…?」
高橋は部下を見回した。そしてゆっくり口を開けた。
国土交通副大臣、田中信久」
「田中!?この前自殺した…」
山下が驚いた声をあげた。
「赤城は田中と関係があった。愛人だったのかもしれない」
「赤城と田中!?」
高橋の言葉に皆しばし呆然とした。
「でも…田中大臣がどうしてうちのデータを欲しがるんでしょうか…」
西川という若い女性社員が言った。
「あ!田中の弟!!」
安田が手を打った。
「ほら!彼の弟は木津寿自動車の社長…」
「あぁ!!」
皆が溜息にも似た声を出した。
「ウチが開発データを発表することでライバルとして
 大きく水をあけられることを恐れた木津寿自動車の社長田中政寿は
 兄に泣きついたんだろう。どうにかしてくれと。
 田中信久は関係があった赤城を使ってウチのデータを盗み出そうと
 試みた。しかし赤城には専門的知識がない。
 それなら私を脅迫してデータを引き出させようと考えたんだ。
 私に関しての身辺調査なら大臣である田中信久なら容易くできただろう。
 そしていずれ私が背任罪で逮捕されれば私も葬り去ることができる」
「だけどそうはいかなかった…」
安田が頷いた。
「データ入手が完全に失敗してしまった以上、マスコミは必ず
 田中と赤城の関係も暴きだすだろう。そうなれば彼の議員生命も終わりだ」
「だから…命を絶った…」
安田は天を仰いだ。
「愚かな男だよ」
高橋はひとつ溜息をついた。
窓の外は雲ひとつなく夏の日差しがじりじりと照りつけていた。