膀胱のエコー検査を終え、再び診察室に戻った石田。
母親に「どうだった?」と聞かれるも無言でまた丸椅子に座る。
暫く経って春日が診察室に戻ってきた。
「昼間はどうだ?オシッコは近い方かな?」
春日はデスクの椅子に座ると石田の目を見て話しかけた。
「…まぁ…近い…です」
石田がボソッと言った。
「エコーの結果なんだが賢太くん、君の膀胱はやはり小さいようだ」
「小さいというと?」
母親が聞き返す。
「一般の高校生と比べて膀胱がかなり小さいんです。
賢太くんの場合たぶん5~6歳程度の膀胱容量しかないでしょう。
だからオシッコをあまり貯めることができない。
昼間のトイレが近いのもそのせいです」
ぷぷっ!と僕は思わず吹き出してしまった。
5~6歳って…幼稚園児じゃん!
見た目は高校生、いや大人でも通用するのに
下半身は幼稚園児のまま成長してないなんて。
だけど確かになぁ…と僕は思い返していた。
あの3人と一緒にいる時トイレの回数が多いのはダントツで石田だった。
以前ゲームセンターでなかなかトイレが空かなくて
股間を押えつつイライラしながらゲームをしていたことがあった。
そんなとき大抵トイレの空きを確認しに行かされるのは僕だった。
「膀胱が小さい上にオシッコの量が多い。
こういうのは混合型といって賢太くんの年齢を考えると
かなり重度の夜尿症だといえます」
「重度…」
母親が困惑した表情を見せた。
「来年すぐに学校のスキー合宿があるんですが、
それには間に合いませんか?」
母親が続けた言葉に春日は腕組みをしてから言った。
「うーーん…これくらい重度の夜尿症となると
たった2、3ヶ月で完治させるのはかなり難しいんですよ。
一時的に薬を処方して対処してみますが」
「オレ別にそんなの行かねーし」
石田が俯いたまま言った。
「今までの旅行はどうしてたのかな?」
春日が石田の方を見て言った。
「全て欠席させてます」
母親が言った。
「小学校から?」
春日が聞き返す。
「はい。修学旅行も林間学校も。
当時は毎日どころか1日に2回おねしょする日もあったので…」
1日に2回…そんなにやっちゃうヤツもいるのか…ほんとに重症だな…
僕も小学校3年まで寝小便はしていたが、さすがに1日に2回はなかった。
「そうか…そりゃ辛かったな。賢太くん。
もう少し早く治療に取りかかりたかったなぁ…」
春日は石田の肩に手をやって言った。
石田は何も答えず、ただ俯いたままじっと動かなかった。
「やっぱり遺伝も多少はあるのかもしれないな」
「遺伝…って?」
春日の言葉に初めて石田が顔を上げた。
「君のお父さんだ。固く口止めされてたんだが、実は彼も夜尿症だったんだよ」
「え?どういうことですか?」
母親が聞き返した。
「彼は…僕と同じクラスの同級生だった」
「え?」
石田も思わず聞き返す。
「だって春日先生にツテのある知り合いがいるからって…」
石田の言葉に春日は笑って答えた。
「ははは。そうか、そんなこと言ってたか。
石田大輔君は僕の中学時代からの友達でね、かなり仲よかった。
高校の修学旅行の最終日、彼とあと一人の三人部屋だったんだが、
彼はそこでオネショをしてしまったんだ」
「はぁ…」
石田が驚いた顔をした。
「泣きじゃくる彼をとりあえずなだめて、僕ともう一人の友達とで
片付けとか先生への報告とか手伝ったのさ。
もちろんこのことは三人だけの秘密だということにした。
後から聞けば実は彼は夜尿症で、
当時もほぼ毎日オネショをしていたらしい。
修学旅行も行きたくはなかったけど、
多感な年頃だし先生にどうしても相談できず、
結局十分な対策も取れないまま参加したって話してた」
「親父が…」
石田が思わず呟いた。
「僕は高校生でもオネショに悩む人がいるってことに正直その時は驚いた。
その後医学部に進学して何科に進もうか決めるときに、
石田君のことを思い出したんだ。
彼のように夜尿症で苦しんでいる人の助けになれたらって思ってね。
だから今私がここで夜尿症の治療をしているのは彼の影響なんだよ」
「そんなの…知らねーよ…
てゆかオレの…オレのおねしょは親父のせいなんじゃねーかよ!」
石田は顔を赤くして立ち上がった。
「賢太!」
母親が石田を嗜めた。
「賢太くん。正直夜尿症が遺伝するのかどうかは本当のことは分かっていない。
ただ両親に遅くまで夜尿がある子供は夜尿の治りが遅い傾向があるって
ことだけなんだ。君の親を責めてはダメだよ」
「…」
「それに…今はお父さんはオネショはしてないんだろう?」
「…」
「正直なところ新婚の頃2,3回ありました…
でも賢太が生まれてからは一度もありません」
母親が代わりに答えた。
「ほら。君のお父さんは何らかの治療を受けたわけではないけど自然治癒している。
君だっていずれ夜尿は治るよ。治療を受ければもっと早く治る。
だからしばらくここに通って根気よく夜尿を治さないか?」
春日は優しく問いかけた。
あの品のある石田の親父も夜尿症に悩んでたなんてなぁ…
しかも新婚の頃って大人になってもやらかしてたってことかぁ…
僕は驚きを隠せなかった。
「君のお父さんは少なからず君に対して済まないと思っているようだよ。
この前久しぶりに飲んだとき寂しそうに言ってたんだ。
『オレの寝小便が遺伝してしまった。できるなら代わってやりたい』って。
もちろん私は君のせいじゃないと言ったがね。
もっとお父さんと話をしてみればいいんじゃないのかな。
彼はオネショしたときの不快感とか辛さ悲しさすべて共感してくれるはずだ。
君も年頃だし言いにくいとは思うがきっと通じる部分はあるはずだよ。
なんたって親子なんだから」
母親の目が少し潤んでいた。
石田はうなだれたまま春日の話を頭の上から聞いていた。
暫くの沈黙の後、
「分かったよ…」
と石田は呟くように言った。
「そうか!ありがとう。お父さんも喜ぶと思う。
私もできる限りの協力はする。一緒に夜尿症を克服しよう」
春日は嬉しそうに言うと石田の肩をがしっと掴んだ。
石田の父親は春日孝という良い友達に恵まれていた。
それは石田の父親自身の人柄の良さにあるのだと思う。
だから修学旅行で寝小便をしても固く口止めしてくれたのだ。
でも石田賢太は違う。今まで尽くしてきた犯罪スレスレの悪事の数々。
修学旅行でもし寝小便したとしても誰も庇ってはくれまい。
それどころかきっとカーストの最底辺に落ちたまま這い上がれないだろう。
それは石田本人の業の深さだ。僕だって絶対に同情はしない。
ただこのまま石田が治療に賛同してクリニックに通い
もし寝小便が治ってしまったら僕には切るカードがなくなってしまう。
正直ここに来るのを妨害すべきだったかなと後悔した。
重度の夜尿症と言われていたからすぐに治ることはないだろうが、
早めにヤツをカーストの最下層に落とさないと今までの苦労が水の泡になる。
僕は首を一度縦に振り深く頷くと、アプリの電源をオフにした。
その日の夜。
僕はフリーメールアドレスを取得すると、
石田のアドレスに、今日の石田の診察中の写真を送ってみた。
机に向かって勉強していた石田は、
差出人不明のそのメールに怪訝そうな顔をしながらメールを開いた。
そして画像を見て固まった。
なぜならそこにはエコーを撮るために下半身裸になり
惨めな短小包茎チンコを晒した画像が添付されていたからだ。
石田の下半身辺りに『←短小包茎(笑)』というキャプションもついていた。
「何で…何で…」
目を丸くした石田は明らかに動揺していた。
スマホを持つ手が震えている。
僕はすかさず次のメールを送ってみた。
そこにはただ一言、
『重度の夜尿症w』
とだけ書いてやった。
それを読む石田の顔色がみるみる赤くなっていくのが画面越しにでも分かった。
『誰だお前』
石田から返信があった。
僕はそれには答えず次のメールを送った。
『5~6歳程度の膀胱www』
石田も今日の診察の内容が全て漏れていることを悟ったのだろう。
恐怖を感じたのか椅子に座ったまま後ずさった。
『幼稚園からやり直そうよ!』
と書いて送った次のメールは戻ってきた。
どうやらブロックしたらしい。
でもフリーメールなんてこのご時勢、いくらでも取得できる。
僕は新しいフリーメールアドレスを取得すると、しつこくメールを送った。
画面の中では再度差出人不明のアドレスから届いたメールに
固まる石田がいた。
少し怯えた目をしながらゆっくりとメールを開く石田。
『もしかして気づいてないのかもしれないけどお前結構教室でションベン臭いよ』
読んだ石田は思わず「嘘だ…」と呟いた。
『意外と皆気づいてるかもね。こいつ寝小便してるって』
立て続けに送ったメール。石田は差出人がクラスメイトの誰かだと知り、
若干強気でメールを返してきた。
『お前誰だよ ただじゃすまねぇぞ』
ふふ。威嚇しようとしてるのだろうが圧倒的に今は僕の方が有利だ。
なんたって僕にはたくさんの証拠画像があるのだから。
僕はさらに画像を添付してメールを送ってみた。
荒い息を吐きながらメールを開く石田。そして画面を見て再度固まった。
そこには昨日オムツを着けた石田の画像の下に
『ぼくは、ようちえんじのいしだけんたでちゅ』と書かれてあった。
うわぁぁぁ!!
石田は叫ぶとスマホを床に投げつけた。
床でバウンドして部屋の隅に飛んでいくスマホ。
『月曜からは必ず学校に来ること。
じゃないとこの画像をクラスの皆にばらまくからね☆』
僕は最後にこのメールを送ると、ニヤっと笑ってメールアプリを閉じた。
⇒逆転⑬に続く